ウータンだったり、モーニング娘。だったり、たいていの大所帯グループというものは、一発当ててグループの名前が知られた後に、ソロなりグループ内グループでメンバー個人の名前を浸透させる、という場合が多いように思うんだけど、この SD JUNKSTA の場合、『CONCRETE GREEN』シリーズや自身の CDR によってある程度グループの名前は知られていたものの、寧ろ NORIKIYO を筆頭に、各人のソロ活動を前面に出すことによって、メンバー個人の名前を覚えさせると同時に、 SD JUNKSTA というグループへの期待感も生み出すという、(どこまで戦略的なものだったのかは分からないけれど)非常に面白い方法でグループの存在感を高めていった。
しかしそういった売り方をするためには、当然各人にソロでも通用する技量がなければならないわけで、それだけの連中が集まり、またこれだけ期待感を高めた状態で発表される本作は、それだけ多くのものを求められる作品なわけだが、誤解を恐れずに書けば、この『GO ACROSS THA GAMI RIVER』という作品は、メンバーのソロ作品しか聴いていない人たちの期待をかわす様な、というより寧ろ落胆させるようなアルバムだ。
というのも今作には各人がソロでみせていた要素が、持ち込まれるということがほとんどされておらず、では代わりに何が歌われているのかというと、いつもどおりの金とハッパと女の事ばかり。中でも地元産のコンドームをレペゼンした “SA.GA.MI. ORIGINAL ~RE: SA.GA.MI~” (この曲に参加した OHLD というラッパーカッコいい)から、 TKC と WAX が見事な掛け合いで警察、ひいてはハスラーさえも茶化す “風雲TKC SHOW ~曲者編~” までのくだらなさは特筆もの。
だがそのくだらなさは、彼らがやさで馬鹿話している様子をそのまま反映させたようで、彼らの共同体としての強固さを感じさせるし、またその他の SD JUNKSTA の生活を描写したような曲でも、深い絶望や焦燥染み込ませながらも、ユーモアを交えて語る様は、彼らのしたたかさやたくましさを感じさせて、それはそのまま反権力のメッセージとしてこちらに響く。
自らの過去への後悔と未来への決意を封じ込めたNORIKIYO 、今までの人生を詩的に描写した BRON-K のソロのような、シリアスさを求める向きには、ゆるめのトラックの上に軽妙なラップを乗せた曲の多い今作は、上に書いたようにあまり歓迎されるような内容ではないだろう。しかしこのアルバムの発するメッセージはある意味各人のソロよりも強いものだし、また SDP というコミュニティそのものを封じ込めたような内容からは、逆説的に彼らがソロ活動を自由に出来る理由が感じられて、非常に面白い(その分内輪受け的な部分も目立つけど)
革新性はもちろんなこと、あまり生産性も感じさせない内容ではあるが、その反面もの凄い魅力を放つ作品だ。