LANDS / Olympos (J-Storm) CD

LANDS / Olympos (J-Storm)
http://www.j-storm.co.jp/kattun/

今日(日付的には昨日)赤西くんのソロ公演である「友 & 仁」を見てきました。
そこで思うところが色々あったので、忘れないうちにメモ的に書き留めておきたいと思います。

普段ならこういうのってある程度頭の中でまとまってから記事にしていたんだけど、そうするとどうしても時間がかかるのと、今年はブログの書き方を色々試したいと思っているので、今回はこういう形にします。なので多分後で加筆訂正とかするかと思います(LANDS についても多分後で書く)。悪しからず。

あとネタばれ的な部分もあるかと思うので、ソロ講演の内容知りたくない人は見ないほうがいいかも。

一般的なジャニーズ・ファンの子達が赤西くんに何を求めているのか、というのを自分はイマイチ把握できていないのだけれど、私が赤西くんに求めているものといえば迷わず歌であり、また今回もソロ公演であるがゆえに彼の歌がじっくりと聴けるものになるのではないか、そんな期待が開演前にはあった。

しかし結論から云えば、その期待は空振りに終わった。6時から始まり終わったのは8時半ごろ、間に30分の休憩があったので実質2時間、さらにその中で赤西くんが舞台にいたのは1時間半もなかったのではないか、という、単純な出演時間の物足りなさもあるのだが、それ以上に大きかったのは、赤西くんの歌に生の質感がほとんど無かった事が大きい。というのもほとんどの曲でオートチューンを使ったりエフェクトをかけたりと声に加工がなされていて、ライブの後半までずっと口パクなんだと思ったほど(実際には私が思ったよりは歌っていたようだが、その真偽もよく分からない)。

つまり今回のソロ公演の主眼は歌手としての赤西仁ではないということなのだろう。ではパフォーマーとしての赤西仁なのかというと、途中ダンスのコーナーはあったものの、あれを主軸に舞台を組み立てたとも考えにくい。

ということは今回の公演は、彼のある部分を突出して見せるというよりは、彼の世界観を表現することが主軸だったのではないかと考えられる。ではその世界観とは何だったのかというと、それは『Thi is it』見てマイケル熱で盛り上がっちゃったんだろうなぁ、というものだった。
まぁそれは冗談にしても、非常に米国からの影響を強く感じさせるものであったのは間違いない。

それが最も顕著だったのは楽曲郡で、中盤にロックっぽい曲も配置されていたものの、7、8割が自作曲、しかもそのほとんどが英語詞の楽曲郡は、アメリカの現行ヒップホップ的なアレンジで、その抑揚の無いメロディと、低音ばかりが目立ちほとんど飾りの無い音作りは、ジャニーズを敬遠する人にこそ聴いてほしい、逆にいえば会場に来ているファンの子たちにはちょっと厳しいのではないか、と思えるようなものばかりだった。
しかし赤西くんは以前 KAT-TUN の番組で、ドライブで盛り上がる曲を持ち寄るという企画のときに、他のメンバーやゲストがいかにもな懐メロ系 J-POP を持ち寄っていた中、一人 Black Eyed Peas の “Boom Boom Pow” を持ってきた男なので、彼の中では単純にみんなで盛り上がれる曲調を選んだ、ということなのだろうか。ここら辺はちょっとよく分からない。

あと演出面で目立っていたのは、世界の大陸の作り物がぶら下げられていたり、また最後の方に地球儀が出てきたりと、非常に強くグローバリゼーションというものを感じさせるということだった。また “Hallelujah” や “Change The World” というカバーの選曲や、黒人に白人、黄色人種と様々な人種が入り混じったパフォーマーたちにもそれは感じられたし、またパフォーマーたちが何度も客席に下りてきて(時には赤西くん本人も)、会場全体の一体感を何度も生もうとしていたのも、多分人類皆兄弟とか、世界平和とかいう類のメッセージがこめられていたのだろう。

そしてヒップホップというアメリカ的な文化を軸にしながらの世界平和、というメッセージを発するところも、非常にアメリカ的に私には感じられた。

しかしここで赤西仁という人間を考えた場合、彼は紛れも無い日本人であり、また日本という国で主に活動している KAT-TUN というアイドルグループのメンバーという、アメリカとはずいぶんと離れた文化圏にいる人である。
つまりこの公演のアメリカ色の強さというのは極端いえば自己否定に他ならないわけだけど、ではその後には何が残ったのであろうか、というのが非常に難しい。

今回のソロライブは公演の質としては決して低いものではなかった。しかしそれは結局のところ優れたクリエーターと優れたパフォーマーが赤西くんを支えているからで、ダンスの方はともかくとしても、様々に加工された歌は彼である必然性があまりにも乏しく、またアメリカナイズされた曲もそれは同様。
結局のところ赤西くんの世界観を表現した結果、赤西くんの存在感が希薄になるという、ある種の空洞を強く感じたことが、このソロ公演を絶賛することを拒んでいるように思う。

さらにこの公演を見ると、彼が KAT-TUN にいる必要性さえも疑問に思えてきて、さらにモヤモヤとするばかりである。果たしてこれからどうなるのであろうか・・・・。

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